2012/04/26

環境社会学の視点


環境社会学の鳥越皓之先生にお会いしてきました。

「よりよい自然環境を維持していくためには、市民運動型だけでは力不足で、その環境から利益を得ている人たちがいないといけない」という視点などをいただき、なるほどと思いました。
例えば、湖に対しては漁師、狭山丘陵に対しては茶畑の農家、都市の河川に関しては
周辺住民などが相当します。

これは当たり前の話かもしれませんが、個人的には、環境の設計や計画の仕事に携わった結果、デザインと言うよりは、運営とマネジメントが大事だと思い至るようになったもの、どういうオーガニゼーションでやればそれが上手くいくのかまだ見えていなかったので、大きなヒントを頂いたように思います。

鳥越先生の新著「水と日本人」かなり面白いです。

水源を水神様や先祖をなどと結びつけ信仰の場として捉えてきたのは、特に日本人に特徴的であったりします。また水辺はコミュニティの場としてもクロスする場であったと。日本にまだ残るそのような事例がいろいろ出てきます。


その他の話題としては、自然環境は土地利用の話でもあり、結局は所有権というところに行き当たります。

日本は土地の所有権概念を欧米から輸入し、逆に欧米以上に過激に個人の所有権が強固になっている国ですが、実は、所有権という法律のレイヤー以外で動いてるルールがあると。
所有権は「使用権」と「処分権」に分解されます。
これらの2つに関しては、例えば農村では、カヤを刈る権利は所有者とは別にいつも使っている人にお伺いを立てる必要があったり、農地を譲渡するにも村の合議が必要だったりしています。
このあたりは現場レベルでは法律と異なる、ローカル・コモンズのルールでゆるく運用されてきた歴史が一方では日本にはあり、明治以降のガチガチの私的所有権といわば二本立てで運用されてきたと。

コミュニティ、人という視点から自然環境を見直すと、普段の都市生活のパターンからは見えてこなかったものが見えてきて、とても興味深いと思います。


2012/04/01

過疎地域のインフラ再生の鍵は、分散化とつながりのハイブリッドにある。

浄化槽の検査員にキレイに水を使ってるねと言われて嬉しいというおばあさん。
これまでは水がどこから来るか、下水がどこへいくのか一律に分からない時代だったが、過疎地域では逆に分かる時代が来るかもしれない。

 (photo: motoko「田園ドリーム」)

冒頭文章はNHKで老朽化する日本のインフラ再生に関する番組「インフラ危機を乗り越えろ」のワンシーンを見ての感想です。
人口縮小時代を見据えて広がったインフラを効率的に運営していくために、コンパクトシティが推進されるようになっていますが、過疎地域では、土地と住民の結びつきが強いため、特にお年寄りの方は集約化のための移転にはなかなか応じようとしない現状があります。
コンパクトシティの方向性はいいとしても、都心部に居住地とインフラを集約していくことが可能なのは、ある程度の居住人口が集中している中小都市でないと難しいのではないかと思います。
ここらへんはいずれ、居住人口、人口拡散率などからコンパクトシティに適したサイズの基準などが、出てくるのではないでしょうか。
ちなみにLRTを導入して中心市街地の集約に成功したといわれているカールスルーエは人口20万人で、水戸、徳島といった都市と同じクラスです。

で、最も広範囲にインフラが拡散する過疎地域では、水道やガス、道路などのインフラの集約化が難しい。それは、住民が自分たちが住む環境・ジオに愛着を持っているからです。代々の土地を守るという感覚もあるのだと思います。
その中で冒頭のシーンに戻りますが、ある集落で、下水道をやめ、合弁浄化槽に切り替えたところがあり、その生活者の一人として、上記の発言があった訳です。
普通のおばあさんが洗い物をした後に楽しそうに話していました。
僕はここに価値観のパラダイムシフトを感じました。

上水道と下水道が日本の隅々まで行き渡り、水がどこからやってくるか、自分がトイレに流したものがどこに行くかをまったく気にしなくなったのは1970年代あたりでしょうか。
農村ではその少し前に化学肥料が登場するまでは、排泄物は肥となって畑に還元されたり、圃場整備で用排水路が一筆ごとに分離されるまでは、どこの田から水が流れてくるかはよく分かっていたはずです。
滋賀県・針江の”かばた”など今でも、集落を巡る水路を家の台所に引き込んで洗い物をしたり、炊事をしたりしている場所もあります。これは上下水道インフラ配備以前の原風景と言えそうです。

キレイに水を使ってるねと言われるが嬉しいと答えたおばあさんから、”かばた”まで、共通しているのは、水を使った後に他者の視線があることです。その視線の中に水が巡ることを通して、つながりを想像するQOL(クオリティオブライフ)の満足感がありそうです。

中山間過疎地域でのインフラのあり方は、集約化ではなく、分散化に向かうほうが可能性があるのでないかと思います。一戸一戸や集落で自律できる分散型エネルギー源や、浄化装置などの技術は一通り揃っています。
集水に関しては、水道が普及する以前の、湧水から水を引き込む技術が役立つかもしれません。
都市のように一カ所に集めてコンパクトしていくのではなく、極小単位で分散化していくマイクロインフラ。マイクロインフラが運用レベルでつながって融通し合うイメージです。

それでも、投資という目線で見れば、誰がそのお金を払うのかという現実もあるでしょう。
確かに、現状の中山間地域の収益だけでは厳しいところはあると思います。これに関しては必要なサービスを労働単位に分解して、地域以外の最適な人に分配するというやり方があり得ます。

”WWOOF”という外国人が日本の農村で農作業し、その代わりに寝床を提供するという仕組みがあり、様々な国の人が農作業に訪れています。
日本の自然と一体化したサスティナブルな農村学習プログラムと食文化をアピールしていけば、海外から労働力を提供しに来たいという人も増えるでしょう。

また、エネルギーに関しては、再生可能エネルギーの固定価格買取制度が今年7月より開始されますが、初期投資を回収後、年数%で回っていくマイクロファンドを組めれば、銀行に貯金するよりこちらに回したいという人が現れるでしょう。
ターゲットとしては団塊世代以上の貯蓄が多い世代が狙いめではないでしょうか。老後を農業と地域のつながりの中で暮らす受け入れ体制を作ればさらに魅力が増します。

中山間過疎地域でのインフラ再生の肝は、分散化とつながりのハイブリッドシステムの構築にあると思います。集約化、コンパクト化といった都市における論理とまた違ったロジックが必要なのでしょう。
つながりとは、水がどこから来て、使った水がどこにいくのかを分かる視点です。
ここには最先端テクノロジーだけでは解決できないナレッジが必要で、それは地形を読んだり、地域の自然資源をどのように回していくかといったジオ/地理学的なリテラシーがベースとして活用されていく可能性があるのではないかと考えています。