2012/08/05

ソトコト連載・ハビタ・ランドスケープ「台風前の鎌倉、紫陽花と極楽浄土」



異例にも6月に台風が本土に接近しつつある日、梅雨の鎌倉に向かった。谷戸に囲われた寺院には紫陽花が咲き誇り、至る所に死の履歴が刻まれた古都の風景に、刻々と陽と雨と風が入り交わった。ジオトリップ第二弾。




谷戸の寺院・円覚寺

JR東海道線の大船駅から横須賀線に乗り換えると、列車は北鎌倉の駅に入る。この駅のホームは両側を山に囲まれ、すぐ脇の板塀に越しに民家の庭木が生い茂っている。昭和30年代の小津安二郎の映画のワンシーンのような懐かしい風景だ。
駅を降りると、もうそこは円覚寺の境内だ。石段の階段を上がり総門をくぐると平場があり、さらに石段を上がると重厚な山門が構えている。奥には伽藍直線上に配置されている。円覚寺は鎌倉五山の一つである禅宗・臨済宗の名刹だが、谷戸地形まるごとがひとつの社寺空間に占められているという点で、ランドスケープ的には貴重な空間である。入口部分の谷底部を造成する形でステップ状の平場空間が作られ

伽藍から奥に一本、主導線が延び、道脇には石で組まれた水路があり、流水性のヤンマが飛び交っている。水路壁面にはびっしりとホウレンソウのような大きな葉と色の可憐な花が咲いている。イワタバコだ。ウエットな岩場を好む植物で、一見地味だが梅雨の鎌倉を盛り立ててくれる存在だ。水路の石組みの上は切り崩した岩が地層を露わにしており、ヒメイタビのような小さなツル植物に覆われ、緑のオブジェのようだ。その一部には横穴が穿たれ、仏像が安置されている。庭師がツルの上に伸びた草本を丹念に刈っている。
同行した生物調査、環境計画の専門家、梶並さんが「刈り取らないと明るい場所が好きな様々な植物が繁茂してしまい、岩の形が見えなくなってしまう」と言う。自然のままの地形、手を入れた地形、もともと生えている植生、人が管理して維持した植栽が渾然一体となり、いい感じだと思えるハビタ・ランドスケープが成り立っているようだ。


方丈庭園を越えたあたりから勾配が急になり、道の斜面には満開の紫陽花が咲き誇っている。着飾った女性たちやカップルが行き交う姿が、人の背丈より高い紫陽花たちとよく似合う。
急な坂を登り切り、また門をくぐり抜けると、そこには庭園が広がっており、小さな塔頭が立ち並ぶエリアに出る。ここは下の伽藍が立ち並ぶ荘厳なエリアと比べると、もっとパーソナルな空気感が漂っている。タマアジサイやユキノシタ、蓮の花に萩など、季節それぞれに花を咲かせる植物が細やかに植えられている。「ナウシカ」の村のような雰囲気だ。
この谷戸庭園の最奥には祠があり、聖観世音が祀られている。ここだけは寺というより、神社のような趣。谷戸の奥の水が湧き出す場所には、水神や稲荷様、御先祖霊などが祀られているのが伝統的な集落構造だが、円覚寺という禅宗の寺院といえども、そのような空間の構造が刻まれているようだった。



円覚寺の山門を抜け、横須賀線のレールを渡ったところに古い緑色に染まった池がある。この池は「白鷺池」といい、円覚寺の境内の一部だ。仏教では殺生を禁じ、一旦捕まった鳥や魚を放す放生会を行うが、ここはそのための放生池だった。白鷺池を後に鎌倉街道を少しゆくと東慶寺ある。

イワタバコと死者・東慶寺

東慶寺は一二八五年、北条時宗の未亡人覚山尼が開山した臨済宗寺院で、明治半ばまでは尼寺だった。女性が人生を決定できない時代、夫の不徳があってどうしても辛い場合、この寺で三年間規則を守って暮らせば、離縁できる「縁切り寺」として長い間、女性たちを受けれ続けた寺だ。
門前の石段の側はガクアジサイつくる青いドットパターン。境内にはタマアジサイ、カシワバアジサイ、ホタルブクロの花々がきらめく。
ここも谷戸の地形の中に囲われるように寺が造られてあり、隠れ里のような雰囲気だ。谷戸の水を集めた中央のハナショウブの湿地が、そのランドスケープ庭園の見せ所となっている。


谷戸の上から湿った風が吹いてくる。ゆるやかな路地を辿って行くと、森の中へと入っていく。突如、目の前に切り立った崖が現れる。壁面一体はワサワサと緑の葉に覆われている。ここにもイワタバコの群落だ。無数の小さな星型の花が風にたなびく。葉のあいだからはゼニゴケが胞子嚢をにょっきり立たせている。崖は何百世代もの植物たちの死骸にコーティングされた結果だろう、指を突き刺すとずぶりと入るほど柔らかいテクスチャーになっている。


ここから奥の森の中には、苔むしたお墓がある。岩盤を矩形に繰り抜いた、鎌倉独特の横穴”やぐら”がいくつかあり、そのひとつは「後醍醐天皇皇女の墓」とある。相当な歴史の蓄積を感じさせる。この墓苑には西田幾太郎、鈴木大拙、小林秀雄など錚々たる人物の永眠の地となっているが、同時に単に”彰子”と書かれた古めかしい墓石が見かけられ、「駆け込み寺」としての尼寺だったことを感じさせる。イワタバコは”やぐら”がある岩肌では、ひときわ大きく成長しており、葉は人の顔ほどの大きさがあった。岩に手を掌わせしばし佇み、東慶寺を後にした。


続きは、ソトコト9月号で。

text:滝澤恭平
photo:渋谷健太郎