2012/10/27

ハビタ・ランドスケープ004「江戸の水郷景観の現在。絶滅危惧種とセシウム。」


ソトコト連載「ハビタ・ランドスケープ第四回」
東京・水元公園〜江戸川
江戸の水郷景観の現在。絶滅危惧種とセシウム。

photo:渋谷健太郎


■水元公園とオニバス

抜けるように青い空がどこまでも広がる8月の朝。私とフォトグラファー渋谷さんが乗ったブルーバードは首都高を降り、JR常磐線の金町駅でランドスケープ・アーキテクトの板垣さんをピックアップした。
都立水元公園は金町から車で10分、葛飾区の東端にある。81.7万平方メートルという広大な敷地はちょうど逆S字の「小合溜」という水辺に沿った形で横たわっている。もともとこのあたり一帯は古利根川が流れ、氾濫原として湿地帯が広がる場所だった。徳川家康が江戸城へ入った江戸時代初期、利根川は東京湾に直接注いでおり、江戸はたびたび洪水に晒されていた。この流れを上野武蔵の国境から東流させ、現在のように河口を銚子へと付け替える利根川東遷事業が行われた。この一大治水事業は実に百年の歳月をかけて行われた。その後、取り残された古利根川沿いに堤を築き、閉鎖水域としたのが小合溜だ。堤を固めるため桜が植えられ、現在でも桜土手として春を楽しませてくれる。
そのような歴史を持つ「ウエットランド」としての水元公園にはハンノキやヤナギなど水辺を好む樹林、花菖蒲などの湿生植物、そしてアサザやオオモノサシトンボといった絶滅危惧種たちが棲む、都内で有数の生物多様性が豊かな場所として知られている。
車を降りた我々は照りつける太陽の元、東の縁にある権八池に向かった。この池には湧水があり、アサザの都内の唯一の生息地になっている。アサザは黄色い可憐な花を一面に咲かせており、ふと目を遣ると黒いランジェリーのような大きな羽根を持つチョウトンボが優雅に舞っている。「だいぶアサザが増えたようだ」と板垣さんが言う。板垣さんはランドスケープ設計事務所で、この池を始め水元公園の多くの水辺再生計画に関わった経歴を持つ。アサザは準絶滅危惧種であるが、生息に適した場所があると、比較的増えやすい水生植物だ。かつてはどこでもあった溜池などの水辺環境が首都圏で激減したことが、その減少の理由であるということだ。この日、我々がこの地を訪れた大きな目的は、これまた絶滅危惧種であるオニバスの開花を見ることだった。その生息地である水産試験場跡地に向かった。水元公園はとにかく広い。端から端まで歩くと二時間はかかるのではないだろうか。しかし、夏の水辺の生き物の気配に満ちており、アオサギが舞い、茶色のジャコウアゲハがハス沿いの道を誘うように我々の目の前を横切っていった。
水産試験場は戦後食糧難の時代にコイ、フナの養殖の研究や金魚の品種改良を目的に設立された。1997年にその役割を終え、小合溜と一体化した水辺の生き物の観察フィールドとして再生された。現在ではコンクリート護岸が撤去され、様々な形の池がゆるやかに繋がった水郷景観が広がっている。板垣さんは「来るたびにだんだん自然らしい景観になってきているのが嬉しい」と目を細める。この一角には金魚展示場が残っており、現在でも江戸前金魚と呼ばれる江戸茜、江戸錦など千匹の金魚が飼育されている。鳥よけの金網で覆われたコンクリート舛の中に、豪華な装いの金魚たちが思い思いに泳いでいる。水の入れ替え作業をしているおじさんに声を掛けた。
「こんにちは、すごい金魚ですね。やはり水がいいのですか」
「そうでもなくてね、ここらの井戸水は硬質で、金魚の墨色を増やしてしまうんだ。江戸錦なんて黒が多すぎると駄目だからね。昔は江戸川の水を引き入れたりしてたんだ」「そうなんですね」
「今はほとんどの金魚屋は埼玉の加須あたりに移ってね、利根川の水を使っているんだよ」
金魚の色にとってベストな水を求め産地を移す金魚業界。興味深い話だった。

photo:渋谷健太郎



さて、オニバスに話を戻そう。オニバスは午前中早く開花するのだが、天候によっては咲かない日もあり、行ってみないと分からないところがある。少し祈るような気持ちで、一堂、生息地の池の前に立った。見事に、それは咲いていた。頑丈な大きなトゲにびっしりと覆われた鎧のような萼。その中から、紫色の炎が燃え上がるように花弁が突き出している。まるで古代に滅びた爬虫類が大きな口を開いたかのような様相だ。直径1mを超える浮葉は山脈のように固く皺打ち、触るとトゲが痛い。これが水田に這えてくると農家の人にとって、とても厄介な存在だったということがよく分かる。オニバスはアジア原産で、第三紀鮮新世(約500万年前〜約258万年前)にはヨーロッパ・アジアに広く分布したが、度重なる氷河期の到来と共に、その仲間は絶滅し、現在では世界中でこのオニバス一属一種だけが生き残っている。一年草だが、種子は地中で数十年も生き、環境のセッティングが整うと発芽するのだという。我が種を守ろうとする強靭な意思と野生の本能を、真夏の太陽の下で放っていた。

photo:渋谷健太郎



続きはソトコト11月号にて
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