2012/11/20

ハビタ・ランドスケープ005:「緑の島」の地質学的時間とヒトの時間。


狭山丘陵・東京/埼玉
「緑の島」の地質学的時間とヒトの時間。 

東京都と埼玉県にまたがる狭山丘陵。周囲の市街地より数十メートル高くなった地形は樹林に覆われた「緑の島」となっている。
古代より続く谷戸の集落と里山、都民の水瓶である多摩湖。丘陵での人の営みと地質学的な時間の接点を追う、ジオ・トリップ第5弾。




■谷戸の集落と里山

青梅街道を西に向かっている。場所は東京都西部の多摩地域、武蔵村山市あたりだ。このあたりには豪農と言える大きな農家が並び、その奥には一筋の樹林のスカイラインが続いている。狭山丘陵である。この丘陵は南北4km、東西11kmに渡り、東京都と埼玉県の境に位置し、周囲の台地から40mほど標高が高く樹林に覆われている。航空写真で見ると、東京の市街地に浮かぶ緑の島のようだ。村山織物産地組合の洋館あたりで車を停め、丘陵へ向かう集落の道に入った。豆腐屋さん、神社の祠、ガボチャが売られている農家の庭先が現れ、いつの間にか時間が止まった里の風景の中に入りこんだようだ。しばらく歩き、須賀神社の脇を抜けるとススキ原が広がり、奥に一家の茅葺きの民家があり煙を揺らせている。この建物は移築した農家で、現在は都立野山北・六道山公園の拠点施設として使われている。この公園で、レンジャーとして市民ボランティアと共に里山の管理運営を行なっているNPO birthの丹星河さんに谷戸の田んぼを案内いただいた。


樹林は色づき始めており、都心より二週間ほど季節が先に進んでいるようだった。谷戸は幅20mほどで、斜面脇に小さな流れがある。それに沿ったあぜ道を谷戸の奥へと進んでいく。ミズヒキ、ハナタビ、ノコンギクなど、秋の野草が開花真っ盛りだ。道連れの環境コンサルタントの梶並さんは、今回は愛犬のダックスフンド・チョコを連れてきた。チョコは草叢に入るとすぐ種だらけになってしまう。動物の毛で種散布する草が多いのだ。黄金の稲穂の波が目の前に広がった。頭を垂れており刈り入れはもう直ぐだろう。両際を囲われた小さな谷津田は、落ち着くものがある。平野での大規模な水田に比べ、谷戸の田では、自ずと地形ひとつに与えられる人口収容量が決まっていた。それは小さな集落単位のささやかなものだ。人の顔が見える関係性の中で営まれてきたスケール感が心地よさを与えるのだろう。このあたりは旧石器時代から人が定住していたことが分かっている。
(中略)




■地底を切り裂く神

谷戸を後にして、丘陵の西、先っぽへと向かう。狭山丘陵は西にいくほど標高が高くなり、そのエッジは上空から見ると、三角の矢尻のようになっている。ここに狭山神社がある。鳥居をくぐり、かなり急な参道の階段を登り切ると社殿がある。御祭神は伊邪那岐、伊邪那美に加え、木花咲耶姫命、大山祇命と山の神が並ぶ。そして、古代からここには泉津事解之男(ヨモツコトサカノヲ)が祀られている。この神はヨモツ=黄泉国つまり地底の死者の国から、コトサク=物事を裂く、隔てるという意味があるのだが、その名は、地形的に大変興味深い。
狭山丘陵は三つの地層から成り立っている。下から上総層群、芋窪礫層、関東ローム層だ。最も古層の上総層群は150万年前ほどに関東平野一面が海だった時代に、海底に堆積した地層で、丘陵の崖からは魚や貝の化石が見つかっている。その上に奥多摩から運ばれてきた礫の芋窪礫層、そしてごく最近(といっても6万年ほど前だが)、火山灰が降り積もったのが関東ローム層だ。狭山丘陵は武蔵野台地の上にぽつんと孤立しているが、もともとは多摩丘陵などと一帯の広大な平面だった。それを削りとったのは多摩川だ。実は古多摩川は現在と異なり、かつては北東の埼玉方面へ流れていた。その浸食で狭山丘陵北部が削り取られた。その後、多摩川は流路を南東に変える。
なぜ流れが変わったのか?その謎を解くのが立川断層の存在だ。立川断層は関東山地の縁に発し、立川、府中へと、北西から南東へ斜めに伸びている。この断層は北東側の地盤を跳ね上がらせる逆断層だ。その隆起により古多摩川の北東流路が遮られ、南東へと流れを変えたのだ。狭山丘陵はこの流路変遷の境目に位置し、隆起した断層面がフェイスガードとなり、多摩川に削られずに残ったのである。黄泉の地底から大地を裂くヨモツコトサカノオ神…。狭山神社に祀られている神々の名は、まるでこの壮大な地質学的一大ドラマを記録しているかのようではないか。ちょうど、この神社の丘の直下には、立川断層が走っている。

神社の本殿、庇の下には雲の上を飛ぶ鳳凰のレリーフが彫られていた。境内脇からは青梅、福生の市街地が見下ろせ、奥には奥多摩の山並みがある。パラグライダーで飛び出せそうな丘陵の先っぽ。古代の人も飛び立つような感覚を持ったのだろうか。戦前、ゼロ戦を開発した中島飛行機のテスト飛行場がすぐ下にあり、現在では横田基地として毎日米軍機が飛び立っている。


photo:渋谷健太郎

続きはソトコト12月号で。