2013/04/30

ハビタランドスケープ#010 港区・東京「異界との接点都市」


ハビタランドスケープ010  港区・東京 
異界との接点都市

人と放送局が多い港区は、台地に大名屋敷、神社が並ぶ庭園都市だった。
開発に覆われた都市を海へと歩き、ランドスケープの履歴を読み解く





ニューオータニの庭園と赤坂見附の魚たち
 朝9時、四ツ谷の土手を歩いている。土手下の上智大の脇道では、たくさんの無言のスーツ姿の人たちが職場へと急いでいる。土手上の桜の木立の中には、アーチェリーを持った女の子グループが笑い声をあげる他は、私たちしかいない。外堀を埋め立てたテニスコート、ラクビー場などのグラウンドが眼下に連なり、ボールを弾くラケットの音がする。一人のOLが土手へ上がってきて、パンプスで土の道を颯爽と歩き始めた。土手からは、斜面に這える松を額縁に、素晴らしい眺望が新宿方面へ開けている。トンネルに吸い込まれていく中央線と丸ノ内線がクロスする四ツ谷駅、セピアブルーの屋根の迎賓館、そして赤坂御所の深い森。今回は、江戸城の外堀堤として最も高い場所にあるここを起点に、海へ向けて港区を縦断してみようと思う。
 土手を下り、ホテルニューオータニの庭園に入る。首都高で紀伊国坂を下るとき、外堀越しに見える鬱蒼とした樹林がそれだ。東京の中心とは思えないこのあたりの風景は、江戸時代はさらに野性的だったようで、「むじな」という狸に化かされるのっぺらぼう怪談が伝わる場所でもある。ニューオータニ敷地はもともとは井伊家の大名屋敷だった。その後、伏見宮邸宅となり第二次大戦後、外国人に売り渡そうとしていたのを、ニューオータニ創業者の大谷米太郎氏が買い取り、東京オリンピック開催の1964年に開業した。ちなみに大谷米次郎氏は力士出身の鉄鋼王というユニークな経歴の仁だ。庭園は、江戸時代から這えるイヌマキをはじめ、巨大なクスやスダジイなどベースとなっている植栽が素晴らしい。庭園の見所は地形の高低差を利用した滝だ。この滝には、ある筋の情報によると、地龍が住んでいるという。地龍は東京の地震と密に関係しており、秘めやかに鎮魂の儀式が行われたとも聞く。昭和の香りが漂うニューオータニ敷地が外国人の手に渡らず、庭園として管理されているのは幸運なことなのだろう。
 ニューオータニを出て弁慶橋を渡る。首都高が隣接する外堀は釣り堀として開業されており、ボート乗り場がある。飯田橋のキャナルカフェなどと比べて、こちらはまったくおしゃれ感はないが、他に代え難いひなびた味を出している。弁慶橋を越えると、赤坂見附の交差点が広がる。すり鉢状の地形の中に、246(青山通り)と外堀通りという大幹線がまあるくクロスし、上空では首都高が立体交差している。ここに立つと不思議な高揚感を覚える。自動車やロードサイクルが三次元的にラウンドした道を、実に気持ちよさそうにカーブを切っていく。乗り物たちの動きは、川を泳ぐサカナ達の群れに思えてくる。実は赤坂見附から溜池山王まで、江戸時代には、谷地形である低湿地を活用した上水池があった。溜池という地名にも由来を留めているが、今の外堀通りは埋め立てられたものだ。水と魚は消えたが、幹線と車というトラフィックに姿を変えた。赤坂見附の乗り物たちは、輸送という機能を離れて最も純粋に走ることの喜びを露にさせているように見えるのは、トポス(場所性)の痕跡がインフラのデザインを、いまなお規定し続けているからだろうか。



山の王と水の女神
 溜池山王の丘に日枝神社がある。男坂と呼ばれる急な石段が表参道になっており、上がり切ると高い丘に登ったなという実感がある。御祭神は山王さまと称される大山咋神(ルビ:おほやまくひのかみ)だ。山を司り、大地を支配する神で、スサノオノミコトの孫にあたる。もともとは天台宗の総本山である比叡山(日枝山)に祀られていた神仏習合の神だ。江戸は天台宗の僧であった天海がプランニングした風水都市であることはよく知られており、まず上野の寛永寺が北東の鬼門封じとして設置された。江戸城を挟み反対側、南西の裏鬼門にあたるのが日枝神社だ。江戸の風水都市構造は現代にも引き継がれているようで、日枝神社の隣には首相官邸がそびえ立ち、永田町の裏鬼門から政治の中心地へ、山の王と共に睨みを利かせている。境内には白砂利が敷き詰められ、ロの字型に囲まれたフラットな社殿と併せてとてもモダンで清らかな印象だ。背後にそびえる東急キャピトルタワーなどの高層ビル群ともマッチしている。

続きはソトコト5月号にて

(写真:渋谷健太郎)