2012/03/24

セルフメイドカルチャーの街・秋葉原

さて、今日もこれから秋葉原に行く。突如メイド喫茶にはまった訳ではなくて、ノートpcが逝ってしまったので、ハードディスクを救出しにね。
秋葉原にあるデータ復旧サービス屋さんは、新宿や赤坂などのビジネス街のそれより劇的に安いです。僕の場合、40ギガを15000円ほどで復旧できました。しかも、即日で。これを丸の内とかのデータ屋さんにもっていくと下手をすれば十倍は取られます。
”プライシング”って何なのだろうと思います。
秋葉原の裏通りにはパーツ屋さんが並んでおり、中古のモニター23インチ8000円やら、正規品でないMacのアダプターやら、訳の分からないコード類やバッテリーやらが300円とかで、無造作にカゴに投げ入れられています。
僕はモニターも欲しかったのでいろいろ物色していたのですが、MacBookからモニターにどうやって繋げるかなんて、全然分かってなかった。DVI変換アダプターが必要で、DVIにはデジタル/アナログがあるがデジタルで、メーカーによっては繋がらんモニターもある、なんてことを店員に聞いたり、スマホで調べたりして、ああこれは買えるなとか、これ買ったらヤバイんじゃないかとか分かってくる訳です。
つまり、秋葉原のプライシングは完全に自己責任性で、店員もそのことを前提に対応して来るから、そっけなかったりするんですね。でも、それが嫌な人は量販店に行って大量流通価格の製品を買うしかない。
その代わり、秋葉原は個人一人ひとりの欲望に対応した活気に満ちてますよ。完全カスタムメイドカルチャー。オタクもメイド喫茶もそういう文脈で同居しています。OL喫茶なんてものもあって、おっ!と思ったり。
あとハンバーガー屋さんやらラーメン屋、定食屋、その他諸々やたら旨そうな食い物屋も多いですね。
個人の欲望を最大限肯定して、それをみんなで維持してきた空間。売り手も客もお互い持ちつ持たれつで、共通点は専門性。
こういうのを正しく「カルチャー」というんだなと感じました。
これが外国人にウケる訳です。単に電化製品とオタクがいるからではない。そういう層の厚さをどこかで感じてるんでしょうね。そのへんでアキバは京都と似てます。
という訳で、今日もあの空気を探りに出かけます。 

2011/11/08

『富の未来図』 これからの知識社会に要求されるスキルとは?

















『富の未来』と言えば、アルビントフラーの大著だが、今回は『富の未来図』 べ・ドンチョル、チェ・ユンジクという本を読んだ。
日本ではあまりさかんでないが未来学というジャンルがあって欧米のエネルギー系企業などは数十年スパンでの未来予測をきっちりやって事業計画を設計していることなどがあり、それなりに需要がある。ロイヤルダッチシェルが出している未来予測レポートの”Shell Global Scenarios to 2025: The Future Business Environmenttrends, Trade-offs And Choices”などは出来がいいと言われている。
日本ではシナリオプランニングの手法が少し定着してきたといったところだろうか。

『富の未来図』は韓国の経営コンサルタントが執筆している。韓国は国内市場が限られていて、優良企業はグローバルな動きの中で自らのポジショニングを設定していなかければならないのと、パワーポリテックス的に北朝鮮、中国、ロシア、アメリカ、日本などの接点空間に領土があり、このあたりの未来学が結構さかん。議論好きで「理」を重んじる知識人階層がいるというのもその要因のひとつだろう。

この本は2030年までの様々な未来予想が書かれていてそれなりに面白いのだが、興味深かったのはこれからの労働価値、人材がどうなっていくかという話。

アバターでバーチャルオフィスでいつでもどこでもリアルオフィス持つ事なく仕事できる、みたいな煽り文句もあるのだが、それはクリシェで、良かったのは「仮想ビジネス生態系」という方向性だ。

あるビジネスを立ち上げようとした時、自分一人だけでやれる能力には限界があるので、周囲のネットワークをオーガナイズして、その事業が展開できる体制を整えておけばいいという考え方。

シリコンバーの競争力は社会的ネットワークから来たと言われているが、お互いに何か考えているかわかっている中で新しいビジネスを立ち上げていくという集合的な思考だ。

一社だけで、そのサービスを成し遂げようとせずに、ネットワーク全体でサービスが提供できる環境にもっていければそれで十分でないか、むしろ、スピードをもって展開するにはそれが効率的という発想。

これには「弱いネットワークの法則」というのがあって、ネットワークは結束力があまり強くなくても十分な有益性を持つという洞察。マーク・クレノベートの研究によれば55.6%の人々が私的なネットワークを通して仕事を得たが、その関係生は時々会うだけの仲だと言う。

今後、サービスの競争優位性は企業ではなく個人のネットワーク性に蓄積されるかもしれない。

その背景として、『富の未来図』では、未来で必要とされる人材の能力として次の二つを挙げている。
ひとつは知識の生産能力、もう一つはネットワークの生産能力だ。

このポイントは知識とネットワークそのものが重要なのではなく、その生産能力が価値を生むということだ。
即ち、常に持続的に画期的なアイデアや、新しいサービスに対応できるネットワークを産み続ける事ができる能力自体が富を産むということなのである。

Webサービスが代表的だが、昨今はあらゆるブーム、サービスがすぐに沈静化し、移り変わる、この本が述べる「ワールドスベズム」・世界的痙攣現象を繰り返している。
そんな中ではすべての知識はすぐにコモディティ化し、価格競争あるいはロボットによる代替に取って替わられる。
この状況の中で、重要なスキルとは専門的な知識ではなく、知識とネットワークを臨機応変に生産できるメタ知識ではないだろうか。
そのような知識社会についての洞察を得ることができた一冊であった。

2011/04/11

高円寺反原発デモの報道と反応に思う

 4/10日曜日の東京、高円寺で反原発のデモがあった。
twitter等での呼びかけで拡散し、規模は拡大、15000人以上の人が集まった。
構成員としては左翼団体や労組でなく、一般の若者が多く、雰囲気はカジュアル&ファッショナブルでちょっとしたレイブパーティーのような趣。年代は若者が中心だが、老若男女様々な層が集まっていたようだ。


 上のムービーをみれば分るが、サウンドシステムとDJを乗せた車がゆっくりと公道を練り歩き、それに連なるデモ参加者は各自用意した色とりどりのアンチ原子力プラカード、レゲエフラッグなどを振りかざし、テクノビートに揺られながら「原発いらない」とコールしている。警官が必死に制止をしている。見慣れない風景だ。



 不思議なことに警官隊とデモ隊との衝突といったことは起こらず、大量に動員された警察官たちは機敏にデモ隊の流れをさばき、信号システムや交通にそれほど過大な影響は及ぼさなかった模様。
あたかもコンサート会場の警備員のように興奮する客の動きを冷静に制御することに徹しているような印象だ。

 ソーシャルメディアでの反応はおおむね二つに分かれていて、我々のエネルギーとして意思表示できたのはいいことだというポジティブな論調と、若者の遊びであって、こんなから騒ぎが何の意味があるのかというネガティブな意見だ。
そして、ポジティブ派は「マスコミはこのデモを報道しない。各地に飛び火するのを恐れているのだ」といったシニカルな意見も多いようだ。

 このデモの報道具合を見ていると確かに主要なマスメディアには、ほとんど取り挙げられていない。
NHKでは「各地で原発反対デモがあり、都心でも銀座でデモがあり、2000人が参加した模様」と、圧倒的に規模の大きい高円寺デモを故意に報道していない。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110410/k10015213681000.html

東日本大震災で深刻な事態に陥っている福島第一原子力発電所の事故を受けて、エネルギー政策を転換し、すべての原発の運転をやめるよう訴えるデモ行進が東京の都心で行われました。
デモ行進は、全国各地で原発に反対する活動などをしている8つの市民団体の呼びかけで行われ、主催者によりますと、およそ2000人が参加しました。はじめに港区の公園で集会が開かれ、代表者が「福島原発の事故を契機としてエネルギー政策を転換し、すべての原発を廃止するよう求めていきましょう」と呼びかけました。そのあと、参加者たちは「原発はいらない」という横断幕を掲げながら、東京の都心を4キロ余りにわたって行進しました。

 一方、日本のマスコミでは唯一、日テレ系列で以下のように高円寺デモを取り上げた。
http://www.ytv.co.jp/press/mainnews/180563.html
福島第一原発事故を受け、各地で10日、反対デモが行われた。
東京・杉並区では10日午後、リサイクルショップの店主らの呼びかけで、「高円寺・原発やめろデモ」と題して行われた。簡易投稿サイト「ツイッター」などで参加が広がり、若者を中心に多くの人が集まった。
デモを主催したリサイクルショップ「素人の乱」の店長・松本哉さんは、「こっちもびっくり。こんなに人が集まって…。原発が危ないとわかったので、一刻も(早く)全部止めていただきたい」と話した。

 海外メディアではBBC、アルジャジーラ、CBC(カナダ国営放送)など様々なメディアが取材。
CBCのニュースはこちらで、高円寺の写真も多数アップされている。
3/27の銀座のデモの様子はBBCのニュースで報じられているが、高円寺のものはまだ確認できていない。
Anti-nuclear protests in Japan
共同ニュースも海外向けの記事をアップしている。
17,500 gather for Tokyo rallies against nuclear plants



 私のタイムラインに流れてきたツイートではっとする意見があった。
@87a_wtnbさんのツイートだ。


”デモを日本の報道が扱わない事は今に始まったことじゃない。逆にデモは日本人が思っている以上に欧米に強く語りかける力を持つと思う。元々外来の手法なのだ。そして今日本には欧米メディアの守護が必要だ。この状態を続け、日本らしいデモの形を見つけ次第に日本人にも理解してもらうのがいいと思う。”


 確かに、そうなのだ。こんなに多くの人、若者、子供を抱えたお母さん、おじいさん、職業も年齢もばらばらな普通の人が自分の意思で集まったのだ。
今までの平和団体系のデモや、労組系のデモと違って組織化されることなく、自発的な意思で。
ここには、明らかに、これまでの日本のデモと違った何かがある。各自のスタイルは様々だ。だけども行き場のない「想い」を15000人が集合的に表現したのだ。
ひょとしたら画期的なことなのではないか。
海外のメディアがこれを取り上げるのは、見えにくい日本人の民意を取り上げようとしたからだと思う。
日本の首脳層の硬直、無能ぶりが海外に報道されることが多い中、一般の日本人の民意を伝えるニュースは海外のメディア環境の中でもいつものフレームとは違う、原発に対する日本人の民意の一側面を伝えるという点で意味があったと思う。

 レイブ的なスタイルをとっているが、このエネルギーは何かに似ているものがある。
それは幕末の「ええじゃないか」ムーブメントだ。
日本人が意思を表現するとしたらそれは「祭り」という形なのだ。
しかし、現代において明らかに違うものもある。このページでデモの告知をしているのだが、
まず、「超巨大反原発ロックフェスデモ in 高円寺」というコンセプトで訴求されている。
また、デモのやり方ってどうやるの?ってことに対して、隊列の組み方、過去の海外事例ムービーなどを解説している。
つまり、デモというのは市民コミュニケーションのひとつの形であり、それを楽しみながら学んでいこうという姿勢だ。
恐らく、高円寺デモで初めてデモに参加したという人も多かったのではないか。しかし、レイブ的な祭りノリがありつつも、それが完全なカオスに陥らず、警官隊、一般市民との棲み分けが一応実現していたというのはなんらかの「デモの作法」が共有されていたからだろう。

 もちろんデモだけが、民意を表現する手段だとは思わない。広告コミュニケーションでいえば、それは「認知」の段階であり、これから、「比較、理解、行動、共有」を各自のプロセスの中でやっていけばいいと思う。
ある人はNPOを立ち上げるということになるかもしれないし、ある人はNPOに募金をするという行動になるかもしれない。
江戸時代の「ええじゃないか」と違うのは、ソーシャルな市民コミュニケーションの一つのプロセスとして、デモが割と冷静に各自に認識されていることであり、また、それぞれの現場でそのエネルギーを形にしていくアクションプランにも結び付いていくベクトルがあるということだ。
日本における市民運動とは「祭り」の形を取りながら、「冷静と情熱のあいだ」をすり抜けていくようなバランスにあるのではないかと思った。
欧米のパブリックとはまたちがった、パブリック。日本人の身体性に合うパブリックを作り上げていくタイムラインがスタートしていると、「原発いらない」のビートを聴きながら思う。