2014/03/25

水の都のソーシャルデザイン ハビタランドスケープ大阪

ハビタランドスケープ#021
大阪市・大阪府
水の都のソーシャルデザイン

「水都大阪」を掲げる大阪は、もともと中洲の島から生まれた水辺の都だった。
大阪ならではの町人感覚を活かした、水辺を「使い倒す」まちづくりの行方。




海民ノマドたちの市

 見た目も新鮮なカニやフグ、冬野菜が川沿いのテントの下に並ぶ。「買わんでええから、試食だけ食べてって」と若狭湾からアイゴを売りにきた漁師が声を上げる。車海老が焼かれ、牡蠣鍋がおいそうな湯気をあげている。「ざこばの朝市」というマルシェが開かれている。大阪・中之島西端の大阪市中央卸売市場に隣接する安治川・堤防沿いの遊歩道の上だ。通常はこのようなイベントは、河川用地である遊歩道では行うことはできない。大阪が官民挙げて推進する「水都大阪」プロジェクトによる規制緩和で2012年より隔月開催され、にぎわいをみせている。
 川にはサーフボードに立ったままオールで漕ぐスタイルのSUP(スタンドアップパドルサーフィン)に乗ったグループが手を振っている。誰でも手軽にできて水面からの眺望を体験できる軽快なスポーツだ。彼らはサッパーと呼ばれているのだが、今日はサッパーたちが中之島上流の「川の駅」八軒家浜からSUPにて川を下り「ざこばの朝市」に買い出しに行こうというイベントを行っている。
 中之島は大阪のビジネス街の中心地にあり、堂島川、土佐堀川というふたつの川に囲まれた中洲となっており、島には日本銀行大阪支店、大阪市役所、中央公会堂といったクラシックな建築と公園、対岸には中之島フェスティバルタワーなど再開発された高層ビルが立ち並ぶ。パリの中心であるセーヌ川のシテ島にも似た、モダン大阪の薫りがいまなお維持されているエリアだ。


 都心のセントラルエリアのビル群や阪神高速をバックに、川の中をゆく、SUPの一群たちはかなり目立つ。ジョギングするランナーや道行くひとびとが集まってきて、写真を撮ったりしている。イベント主催者の日本シティサップ協会の奥村崇さんは「必ず手を振り返すようにしていますよ」と笑う。もともと大自然の中をゆくアウトドア派だった奥村さんは、いまは都心を漕ぐ方が楽しいという。川から大阪の都市を眺めているといろいろなことが見えてくる、そう話してくれた。
 「ざこば」とは雑喉場と書く。「喉(こう)」は、古くから魚を数える単位で、種々雑多な魚介類が集まる市場という意味である。雑喉場の魚市は、江戸時代に大いに賑わい、西日本および淡路、和泉、紀伊、伊勢、志摩など近郊の魚荷を独占的に引き受けた。雑喉場の他にも、江戸期の中之島には堂島米市場、天満青物市場と、「天下の台所」を支えた大市場が開かれた。その背景には、大阪は、前方には瀬戸内海、背後には京都への淀川という水上交通が便利な立地特性に加え、西廻り航路、江戸への航路の発展によって全国の流通の要となったことがある。近代以前、大動脈とは船運であり、水への接続が都市には必須であった。




 もともと大阪は、縄文海進期には、現在の河内、生駒の麓あたりまで広がる大きな湾であり、淀川が長い時間をかけて土砂を堆積させてできた土地だ。古大阪湾に南から突き出した上町台地の端には砂嘴が伸び、その一部に難波津の港が築かれた。淀川は、河口部に八十島と呼ばれる大小様々な砂州を出現させた。河口には渡来系の海民が住み着き、彼らは小舟を使い移動して漁をしたり、芸能を見せたり、時には色を売ったりもした。農耕民族でないノマドな海民たちは、やがて天皇や貴族に海産物を届ける「供御人」と呼ばれる役目を負うようになっていった。鮑や海塩など海産物は贄(にえ)として神や天皇に捧げられる神聖な儀式であり、供御人は非常に重要なポジションであった。その献上物の残りを砂州で売りさばいたのが、市のはじまりと考えられている。

 中世には、市の関係者は「座」という同業者組合を組むようになった。「座」は神社の祭礼組織の枠組みで、出身や身分、職業を問わず、年齢だけで上下関係を決めるという秘密結社のような仕組みだ。のちに、堂島米市場は世界初の先物取引を生み出したが、そのベースとなっているのは、信用できる相手やったら現金はいらん、という信用取引だ。ここでいう、信用とは、血縁・地縁のコミュニティでなく、利益・関心のコミュニティの一員としての自覚と責任を持っているという枠組みで機能していく。船場商人に代表される、大阪人の合理性、開放性の一端は、砂州からはじまった市の発展と共に磨かれてきた、と想像するのも興味深い。






写真:渋谷健一郎
続きはソトコト5月号で
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