2013/01/27

ハビタランドスケープ007神田川


ハビタランドスケープ007
神田川・東京 台地と低地のジオ・ポリティクス
江戸の街に上水を供給していた神田川に沿って、町工場が並ぶ低地の下町と、大名庭園だった台地の山手がミクロな地形によって棲み分けられている。都市の河川を通して、権力者と職人たちの空間の履歴を読み解く。

落合のビバリーヒルズ

 神田川は都心を蛇のようにくねっている。吉祥寺の井の頭池が頭で、隅田川に出る浅草橋付近が尻尾だ。下高井戸でぐるっと北にターンした、神田川は善福寺川を受け入れ、目白台にぶつかりもう一回東へターンする。ここは妙成寺川と落ち合うポイントで、その地名も落合だ。11月の晩秋の朝、西武新宿線の下落合駅を訪ねた。駅を出てすぐ、神田川だ。なだらかなカーブをコンクリート護岸が描いている。両岸の桜の枯葉が、はらはらと舞い、ごく薄く流れる水面を下っていく。水は思いのほか綺麗で、鴨の親子が泳いでいる。
 下落合は目白台の下の低地にあり、合流地点付近は、古来たびたび洪水に襲われてきた。現在の妙成寺川はここから暗渠の放水路を下り、やや下流の高戸橋付近で神田川と繋がっている。落合水処理センターが下落合にあり、高度処理された水が神田川に流されている。暗闇からどうどうと流れる放水口を覗きこむと、むわっと生暖かく、かすかな下水の匂いが鼻の奥を刺激する。かつて、神田川は江戸の街に神田上水として導水され、水道までアユが入ってきたと言われたが、高度成長期に生活排水が流入するようになり、1970年代には全国でワースト2となるまで水質が悪化した。しかし、高度処理が開始され、下水道整備率が100%になってからは水質が改善され、現在は高戸橋付近にアユが戻るようになってきている。落合付近には染物屋が多い。明治に入って、上水が廃止されてから、清浄な水を求めて、江戸友禅染などの染色業者が下町から移転してきた。神田川での染物の水洗いもアユと同様、滅びかけたが、今では試験的に復活するようになっている。
 目白台は武蔵野台地とひとつづきの洪積台地上にある。神田川からは20m程の崖が続いており、坂を登らなくてははならない。牡丹で有名な薬王院の脇の階段坂を登る。下界を見下ろす踊り場が設けられており、楽しい坂だ。台地の上の中落合は、戦前「目白文化村」と呼ばれた高級住宅地だった。西武の創始者である堤康次郎がビバリーヒルズをモデルに開発した山の手住宅地だ。作家、画家、学者などの文化人、官吏やホワイトカラーたちが関東大震災以後移り住み、牧歌的な農村が広がっていたこの地に、クラブハウス、スポーツ施設も立ち並ぶ「落合ヒルズ」が出現した。しかし、このモダンな住宅地の大半は空襲でほとんどが消失してしまった。神田川沿いに並んでいた染色工場一体が、軍需工場と分析され、焼夷弾が落とされ、目白文化村にも残りの爆弾が落とされていったという。今はその面影として、パリの風景を描いた画家・佐伯祐三のアトリエ、林芙美子の住居など、いくつかの建物が残っている。
 台地の縁に「おとめ山公園」という緑地がある。かつて将軍家の狩猟場として立ち入り禁止の「御留山」と呼ばれ、大正期に入り近衛家が邸宅を構えていた場所だ。鬱蒼とコナラ、スダジイなどが繁る緑地の崖下には湧水があり、江戸時代は蛍の名所だった落合にちなみ、ヘイケボタルが育成されている。公園を下ったところに、駐車場があり、古い擁壁を見つけた。コンクリートの壁が一部崩れ、土がむき出し、水が滴っている。かつては下落合の崖下至るところに湧きだしていた湧水。崩れ落ちたコンクリートに、いまなお残る地下水の脈動を感じた。


神田川と印刷工場

 高田馬場駅のガード下を越えて、神田川に沿って歩く。明治通りと交差する高戸橋で、学習院方面の坂の上から路面電車がトコトコ降りてくる。都電荒川線だ。道路の交通ルールに従って赤信号で止まる。カメラを向けると、乗車しているおばさんが笑って手を振ってくれる。
 「面影橋」という橋がある。歌人の在原業平が姿を写した、また近くに住む娘が身を投じたという謂れがある橋だ。このあたりの神田川は深いコンクリート護岸になっており、水深の目盛りが9mまで刻まれている。この日の水深は30センチほどだが、増水時はぎりぎりまで上がってくることを思うとぞっとする。川底もコンクリートかと思っていたのだが、ふと見ると水面には苔が蒸した大きな一枚岩が顔を覗かせている。この付近は神田川の勾配が最も急で、地盤が深く削られ、川底は、関東ローム層、東京礫層を切り、最も古い上総層まで達している。それは200万年前に蓄積した硬い岩盤で、高層ビルの支持層となっているものだ。東京の基層といえる、そんなとてつもなく古い地層を見れるのは東京でもこのあたりの神田川を除いてはない。都心の真ん中で、剥き出しになった「ジオ」を見せつけられた我々はいたく興奮した。
 しばらく神田川を歩くと、川の左岸に古い石段があり、二本の大きなイチョウが鳥居のように立つ水神社が見えてくる。すぐ下流にかつて関口大洗堰が築かれ、ここから神田上水が取水された。この神社は神田上水の守護神として江戸の厚い信仰を集めた。イチョウは街路樹のような円錐形でなく、都内では珍しい自然樹形の球形をしている。ふっさりと大きな玉に育ったイチョウは、とどまることのない水の勢いを連想させる。・・・


photo:渋谷健太郎
続きはソトコト2月号にて

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