2012/05/15

ジオと神話の旅・霧島 その三 ー霧島東神社と祓川ー


5月3日、快晴。午前の爽やかな太陽の元で霧島連山がくっきり見える。
やはり、大きい。車でしばらく走ると、見える姿が刻々と変わっていき、豊かな表情を見せる。































ー霧島東神社へー

昨日ジオガールを撮影した御池は火口に水が貯まってできたので、火口の縁が水面より30メートル程高くなっている。その尾根筋の道を進んでいる。
標高1574mの高千穂峰が湖の向こう側にはっきりと見える。成層火山特有の美しいスカートのシルエットは頂きの少し下まで深い樹林に覆われている。






























この峰の手前から、我々の立つ側に降りてくる尾根線のライン沿いに霧島東神社はある。
その地点の標高は500m程。ここからは御池の円い輪郭を見下ろすことができる。
霧島東神社は康保三年(966)、天台僧・性空上人が開山した6つの神社である霧島六権現のひとつで、明治までは、西御在所宮としての霧島神社に対し、東御在所宮と呼ばれてきた。ここには御祭神として国生みの男女神であるイザナギ、イザナミが祀られている。

神社の入口の鳥居をくぐると、右側の少し奥まったところに小さな祠と湧水「神龍の泉」がある。






























豊かな水量を持って湧き出るその場所は、石が組まれた水場となっており、参拝者たちが手を濯いでる。
湧き水は清らかで飲むとおいしい。
顔を洗い、頭にも水を浴びた。

本殿への道は山の形に沿った階段となっていて、登って行くと境内社と注連縄で四角く区切られ丸石が敷き詰められた場所がある。
さらに上がった場所に大きな杉の木が二本並んでおり、その二つは太い注連縄で結ばれている。
自然そのままの姿で鳥居となっており、参道が奥に続き本殿がある。



























社殿は高千穂峰へと続く山の軸線に対して垂直に建てられ、峰の方向を向いていない。
それが不思議だったが、山側は、杉の中に明るい日差しが差し込む森となっている。
敷地から森が始まる境界に二本のヤブツバキが注連縄で結ばれており、ここが登山道の入り口であるとのことだ。





























森の中は、所々に落葉樹が揺れており、林床には草本類や地衣類が生える。
ここから先は自然の領域だ。そして神がおわします森でもある。
その高千穂峰から続く森に対して、敢えて建物を向けず、二本の木と注連縄だけで結界とし、自然のまま開けているランドスケープの佇まい。
そこに、古の人たちから続く哲学を感じた。
風が吹き抜けていく。
峰から流れる神気を流すということだったのかもしれない。























ー祓川の集落ー

霧島東神社を下って、山が盆地部に出るその裾野に祓川(はらいがわ)の集落はある。
ここは独自の古い神楽が伝わる集落で、村民でもそれがいつ始まったかはわからないという。
少なくとも千年以上前からあるという話だ。
真剣を素手で握りしめながら一晩中朝まで舞う神楽は、12月に行われ、真っ暗な闇の中で
舞を見ていると自分が今いつどこにいるのか分からなくなってくると見学者は言う。

祝日ということで、数十戸ほどある緑に覆われた家の入り口には日の丸が掲げられている。
懐かしいニッポンの農村といった印象だ。
この集落の中にコイの養殖池があり、その池に流れ込む小川は清流で、シダやフキ、水生植物、羽が茶色のカワトンボなど様々な生き物たちが自生する。
水面と草むらがキラキラと輝いている。











































この瀬は、集落の中で最も山裾に近い場所にある湧水地から流れだしている。
飛沫を上げ、沢に下る湧水池点から塩ビ管が伸び、水汲み場へと続いている。
水を汲みに来た地元の女性がいた。この水でご飯を炊くととても美味しいんですよとのこと。





























この水は用水として集落全体に張り巡らされ、さらさらと家の前を下っていく。
用水脇に咲き誇る大きなサツキの木の周りに、二匹のクロアゲハが舞っている。
急に風に乗ったり、花に舞い降り立りたり、動きはランダムで自由だ。

毎年神楽に出向き、映像撮影を行なっているTさんから夢のような話を聞いた。
集落のある家に伺った時、窓を開けて、神様の声が聞こえるかなと言われたという。
窓の外から聞こえるのは、鳥や虫の声だった。
この集落のうち、神楽に参加する家々は霧島東神社の氏子で、その伝統を千年以上にも渡り守っている。
風景のひとつひとつの石、水、植物、虫たちに神が宿っている。
そのような世界観を今なお保っている集落のようだった。






















霧島東神社と氏子としてその文化を守る祓川の集落。
高千穂峰から降り立った尾根の森の途中に神社があり、そこは神と野生の領域と、
人間の領域の境界であり、さらに下り山が盆地に出る勾配変化点に集落はある。
集落は神に使える人たちと農的な営みを持つ人々の境界点と言えようか。
このような視点で見ると、高千穂峰を中心とする同心円状に地形・文化的なフィルターが
幾層にも渡って構成されているようだった。
共通するのは湧水で、水は火山灰の土壌に滲み込み、地形の変化点で湧きいでる。

この水がどこにたどりつくのか、それを追ってみたくなった。





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